2024-10-23
「最近の若者は本を読まない」
そう言われて久しく経ちます。よく「出版不況」と言われますが、僕が若者だった30年くらい前から、そう言われていたような記憶があります。
出版不況は、もうずっと続いています。本が売れない時代になっているのは間違いありません。
書店はどんどん減っていき、雑誌は次々と廃刊や休刊に追い込まれています。本を取り巻く未来は明るくありません。僕は読書が大好きなので、そんな話を聞くと、いずれ紙の本がなくなってしまうのではないかと心配になってしまいます。
理由その1 「つらいから」
まず、読書が「つらい」ということ。Aさんは「もし楽しいんだったら、そりゃ自分だって本を読みます」と言っていました。
「でも、活字を読み進めるのが、苦痛なんですよ。そんな苦行を、なんでいちいちしなければいけないのか、意味がわからないです」
彼はそう言っていました。その後いろいろ話を聞くと、要するに読書という行為を、勉強という行為の延長として捉えていることがわかりました。
理由その2 「時間がもったいないから」
読書という行為は、時間が取られます。1冊読むだけでも数時間はかかります。ちなみに、僕は速読否定派です。
「そんな時間をかける行為を、なぜしなくちゃいけないのかと。忙しくて本を読んでる場合じゃないですよ」
そういうAさんに「では、暇なときは何をしてるんですか?」と聞いたら「ネット動画を見るか、ゲームをしていますね」との答えが返ってきました。読書好きの僕からすると、ネット動画を見たり、ゲームしたりすることのほうが、よほど時間がかかる気がするのですが……。
ただ、まあ、これもわからなくはない理由です。読書好きを公言している僕だって、なかなか分厚い本で、それも上下巻セットだったりすると、自分で「読みたいな」と思って買ったはずの本なのに、読み始めるのに気後れする場合があります。
実際に読み始めてしまえば、ぐんぐん進んでいって、その気後れも徐々に減っていくのですが、読む前にためらってしまう気持ちはわかります。
そもそも〈理由その1〉で書いたように、読書をつらいと思ってしまう人にとっては、なかなか越えられない壁なのかもしれません。
「つらいうえに、それが長時間かかるんでしょ? そんなことを、なぜ自分からしなければならないのか、ということですよ」
そう言われてしまえば、確かに返す言葉がありません。
理由その3 「楽しくないから」
読書=エンタメ。そう捉え直してみると、もしかしたら読書だって、難しいゲームをクリアするのと同様に、苦痛ではなくなるかもしれません。ゲームなら長時間やれるように、読書もエンタメだと思って向き合えば、時間をもったいないと思わなくなるはずです。
そうしたらAさんから、こう答えが返ってきたのです。
「だって、ゲームほど楽しくないじゃないですか、読書って」
本では、ネット動画や、ゲームほどのエンタメ感を得られない。そう返されてしまいました。なぜ、そう思うのだろうか? Aさんの答えを聞いて、僕はなぜだか考えてみました。僕にとって読書はエンタメなのに、なぜ読書しない人にとってはエンタメにならないのか、楽しく感じないのだろうか、と……。
すると、Aさんから次の答えが返ってきたのです。
理由その4 「書き手が知らない人だから」
つまり「なんで、よくわからない人の意見を、いちいち聞かなきゃいけないのか?」ということです。
知っている人や好きな人の話だったら、積極的に聞こうとは思いますが、本の書き手は、読者にとって大部分が知らない人です。そんな知らない人の私見や、勝手につくったストーリーを押しつけられても、それをわざわざ手に取って、自分の時間をかけてまで読もうとは思わない、ということらしいのです。仮に、それが面白いものだとしても。
ちょっと待てよ、と思いました。だったら、ネット動画やゲームはどうなんだと。
Aさん曰(いわ)く「ネット動画は好きなトピックで検索し、その検索で引っかかった動画を見て、その動画をつくっている人(ユーチューバー)に興味が出たら、その人の動画を何個も見る」そうです。
では、ゲームは? ゲームだって、誰がつくったかは知らないじゃないか? Aさんに聞くと、こう答えが返ってきました。
「ゲームはつくり手がわからなくても、そのゲームが楽しかったり、面白かったりすれば、それが伝わってきます」
つまり、それが面白いと思えるためには、ビジュアル(光景)が必要だということなのです。原則、本だと活字しかありません。本に書かれたビジュアルは、活字やその集合体である文章から、自分でイメージ(想像)する必要があります。その文章からビジュアルをイメージするという行為が〈理由その1〉の「つらい」につながるのです。
理由その5 「ネットのほうが便利だから」
ネットのほうが便利。つまり「読書は不便」ということらしいです。今度こそ、僕は超特大の衝撃を受けました。
僕には読書を、本を読むという行為を、今まで「便利か不便か」という枠で捉えたことがなかったからです。読書という行為の修飾語として、便利とか不便とか、そういう言葉自体を頭に想像したことが、僕には今までありませんでした。「楽しいか、楽しくないか」ならわかります。「面白いか、つまらないか」も理解できます。
